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「食」を通して「美味しさ」とともに贅沢な時間と楽しさ、笑顔の「食卓」を提案します。
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2011年02月15日(火)更新
白鶴大吟醸と近江牛味噌漬け

世界で食中酒といえばワインだが、
パリやロンドン、ニューヨークでは、
日本酒が人気を呼んでいるという。
私が思うには、日本酒はどんな料理にも相性が良い。
魚はもちろんのこと、肉にだってよく合う。
白鶴の大吟醸をいただいたので、
漬け込んで1週間目の近江牛味噌漬けと合わせてみた。

部位はイチボで、キレイな黄金色に仕上がっている。
漬物を漬けるかのごとく、
毎日、いろんな部位を漬け込んでは楽しんでいるのだが、
漬けた翌日から日増しに味が濃くなっていくので、
同じ部位でも味の変化がおもしろい。
ここまでくれば仕事というより趣味の世界だ。

モモ肉のなかでも、イチボはサシが入りやすい部位だ。
素焼きでステーキにしてもおいしいのだが、サシが邪魔だ。
やっぱり、味噌漬けが断然うまい。
とろけるような食感ではなく、
イチボ独特の歯切りの良いシャープな味わい、
そして、味噌に漬け込むことにより、まろやかさが増している。
そこへ白鶴を流し込む。
口当たりはやわらかいけど、
後からしっかりとした味わいが追いかけてくる。
しかし、肉も日本酒も知れば知るほど奥が深い。
近江牛味噌漬けの歴史は古く、
食通として知られていた徳川斉昭公が
薬として彦根藩から味噌漬けを送らせていたのがはじまりだ。
当時は、牛をと畜することは全国的に禁じられていたのだが
彦根藩のみ、日本で唯一許可されていた。
陣太鼓を作るのに牛皮が必要で
次第に肉も食べるようになったそうだ。
禁止されているものを食べるのだから
あきらかに世間体が悪い。
そこで、「養生薬」の名目で、将軍家へ献上していた。
しかし、友好だった彦根藩と水戸藩の関係も
彦根藩主が井伊直弼に変わると、仏教徒の直弼は
味噌漬けの献上をやめてしまったのだった。
徳川斉昭公から催促されること三度。
すべて無視し、その後は肉を送ることはなかったそうです。
安政7年3月3日(1860年3月24日)に、
江戸城桜田門外(東京都千代田区)において水戸藩、薩摩藩の脱藩浪士が
彦根藩の行列を襲撃して、井伊直弼を暗殺した事件。
世に言う桜田門外の変です。
事実は、大老井伊直弼が安政の大獄で反対派を弾圧し、
密勅の返納を迫るなどから、水戸藩、薩摩藩の脱藩浪士に
井伊直弼が襲撃されたのですが、
本当は、味噌漬けの献上をやめてしまった恨みからだという
説もあります。
たんなるゴシップかも知れませんが、
江戸から近江牛味噌漬けが消えたのは事実です。
そして、桜田門外の変で井伊直弼が暗殺されたのも
疑いようのない史実。
食い物の恨みは恐ろしい、、、
という笑うに笑えない話です。
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